青柏祭神事の起源は一千年以上も前とされ、その中での曳山行事は約五百年以上前からと神社の文献に伝えられております。明治時代の曳山は現在より大きく18メートルと記されています。
明治の後期に電線が張られ今の大きさに変わりました。
私たちは現在、曳山の事を通称「でか山」と呼んでいますが昔は「でか山」の名称は無く、山・鉾山・山車・曳山などと呼んでいたようです。
なお、神社の古い文献では鉾山と記されており、いつの頃から「でか山」と呼ばれるようになったかは定かではありません。 |
画像クリックで拡大・補足ページへリンクします
大正十二年 鍜冶町曳山 「 舞台飾り め組の喧嘩場 」纏紋前幕
( 大地主神社境内にて撮影 当時の境内後方は田畑ばかりでした ) |
大正十二年、東京市各区消防組より纏紋の前幕が贈られた年の記念撮影です。
以降も昭和三十年代までこの前幕が鍜冶町曳山を飾っていました。
当時は現在ほど娯楽等の楽しみが無く、でか山が以前の祭禮日(13~15日)では、ちょうど田植え時期を終えた頃で祭見物にと各所から人が押し寄せ七尾の町は今以上の大変な賑わいだっと伝えられております。
また、近年のでか山の飾り舞台では人形は三体ですが以前は多くの人形が乗せられており、この場面では五体の人形が飾られ舞台も、かなり手が込んだ造りになっているように見えます。当時の曳山に対する意気込みがうかがえます。
|
昭和初期の大地主神社境内
( 撮影年代不明 昭和前・中期頃 )
昭和十六年度 記念撮影
運行地図内 B 地点 |
|
|
|
|
昭和三十八年 運行地図内 C 地点 |
金箔 「青柏祭・曳山」 テレフォンカード
NTTの前身、電通時代に各町曳山の三種類が発売されました。 |
|
|
|
このカードは七尾の旧家にある古い屏風に描かれた曳山の図を金箔に写した物です。
この曳山は図柄から見ておそらく江戸時代の曳山かと思われます。 |
青柏祭・曳山 奉納 絵馬
|
明治時代に七尾小島町の「山の寺」三ヵ所のお寺に奉納された絵馬です。
当時は祭りの絵馬をお寺にも奉納していたようです。
掲載の絵馬はH30.2フォーラム七尾で展示された際に撮影させて頂きました。
|
参考掲載 鹿島郡井田の曳山絵馬
明治二十四年九月に鹿島の熊野神社に奉納された絵馬です。
七尾の曳山ではありませんが七尾近郊、井田の曳山で紋は丸に井の字となっています。
当時は井田にも七尾の曳山と同様の曳山があったようで大きさは定かではありませんが現在でも当時の幕が保管されているそうです。 |
|
|