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昔の曳山 (でか山) 纏柄の前幕


大正十二年  鍜冶町 曳山 「 舞台飾り め組の喧嘩場 」
当時の東京消防組の組頭が七尾出身の方で、その方のお世話で鍜冶町でか山へ東京市の各消防組より纏柄の前幕を寄贈して頂きました。
その事を記念し鍜冶町でか山は飾り舞台を江戸火消しにちなみ纏を振る「め組の喧嘩場」に定めました。
ただ、大正十二年五月でか山祭禮が終わり、その年の九月一日に関東大震災に見舞われ東京は灰塵の町となり鍜冶町でか山の「め組の喧嘩場」の場面は忘れることのの出来ない因縁話となりました。
その後もこの江戸火消しの纏柄の前幕は昭和三十年代初めまで鍜冶町でか山を飾っており記憶されている方もいると思います。

また、この年は東京から消防組の皆さんたち多くの方がでか山を見に七尾へ来られ七尾停車場では多数の方がお出迎えし歓迎している写真が残されています。
当時の七尾停車場(七尾駅)は矢田新町付近にあったようで大正十四年に現在地に移転しました。


平成十六年 五月一日  ムシロ山
長年、山蔵にしまっていました纏柄の前幕が平成十六年ムシロ山にて取り付けられて運行されました。
生地はちりめんで紫地、当時はかなり高級な物だったと思います。「牛込・岩田屋製」
さすがに色褪せてはいましたが纏柄・文字もはっきりして残っております。


平成二十四年 五月五日  「 舞台飾り め組の喧嘩場 」 
前回、平成十六年に纏柄の前幕を飾りましたが生地の劣化が激しい状態でした。
ただ当年、平成二十四年は飾り舞台が「め組の喧嘩場」という事もあり最後にもう一度だけ幕を飾る事としました。
五日の早朝より昼までの取り付けでしたが慎重に扱い最後のお披露目となりました。
大正時代の飾り舞台と比べれば多少見劣りがしますが今後は目にする事の無い思い出に残る山となりました。
この幕は現在も大切に保管してあります。


江戸子會の半纏
     
当時の古い写真にはこの江戸子會の半纏を纏い曳山に参加している姿があります。
大正二年に大地主神社拝殿を建て直しの際、東京消防組組頭のお世話で東京の江戸子会から多くのご奉賛をして頂き今でも拝殿に奉納額が掲げてあります。
その後、大正十二年に鍜冶町でか山に上記の纏柄前幕を寄贈して頂き、併せて江戸子の半纏も数着寄進されたと思われます。
でか山の山倉を整理した際に数着残っていたものを一着譲り受け、生地がかなり傷んでいましたので裏地を新たに付け縫い直しました。
       大地主神社拝殿奉納額



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