青柏祭の曳山祭り「鍜冶町でか山サイト」 ホーム >舞台飾り
鍜冶町でか山の舞台飾り  出し物 ・ 鉾

花川戸助六 由縁江戸桜 春興鏡獅子

でか山の前面には歌舞伎の名場面などをあしらった煌びやか舞台をつくります。
また、毎年必ず舞台のどこかに若松を一本据付け神々の降臨を仰ぎ、悪疫退散と日々円満、豊かな暮らしを祈念します。
合せて舞台には歌舞伎人形も飾られます。最近では飾る人形は三体がほとんどですが、古くは多数の人形を飾っていたようです。
なお、この飾り「出し物」歌舞伎舞台は毎年変更され作り変えられます。
舞台の広さは限られており、その範囲内で遠近感や重厚さを表現しながら、その年の題目に沿った場面が作られております。

以前は各町お抱えの人形師さんらの手により制作され取り付けまでしていましたが近年、鍛冶町では山建て会が取り付けを行っております。

舞台飾りの取り付け
でか山の飾りは各部分ごとに分けて作られており、順次取り付けられていきます。
各部分にはあざやかな色紙と金銀紙が貼られています。
飾りを取り付ける際には、部分々の重なり位置を合せ隙間が空かないよう気を付け藤づるや荒縄で縛って固定させます。

この取り付け作業はでか山が5月1日のムシロ山で曳きつけられた鍛冶町見付けにて2日と3日に飾りつけを行い5月3日の宵山に間に合わせます。
以前は5月3日だけに行っていましたが時間的に厳しく近年、二日がかりで行っております。
でか山の骨組みには釘等を使用しませんが、飾り部分・取り付けには一部金物を使用しています。


令和の鍜冶町でか山 出し物
元年 源氏物語 七尾の栄
2年 運行中止(車だけの奉納)
3年 運行中止(車だけの奉納)
4年 伽羅先代萩 床下の場

平成の鍜冶町でか山 出し物
 元年 忠臣蔵七段目 一力茶屋之場 16年 太功記 本能寺の場
 2年 義経千本櫻 17年 平治の乱 義朝館
 3年 壽曽我對面之場 18年 仮名手本忠臣蔵 一力茶屋の場
 4年 一条大蔵御 御殿之場 19年 先代萩御殿之場
 5年 花川戸助六 20年 源氏物語七尾の栄
 6年 め組の喧嘩 21年 蜘蛛巣城 森達也
 7年 石切梶原之場 22年 長谷川等伯 千利休 茶会の場
 8年 南総里見八犬傳 23年 稲瀬川勢揃いの場 白波五人男
 9年 義経千本櫻 川連法眼館之場 24年 め組の喧嘩 神明恵和合取組の場
10年 平治の乱 義朝館 25年 花川戸助六由縁江戸桜
11年 七尾城評定之場 26年 寿 曽我兄弟対面の場
12年 義経千本櫻 27年 智仁勇 勧進帳
13年 大阪城評定之場 28年 春興鏡獅子
14年 勧進帳 安宅の関所 29年 義経千本桜 鳥居前の場
15年 先代萩御殿場 30年 菅原天神記 車引きの場


各年度の飾りを掲載しています ≪記念集合写真ページ≫


平成二十三年度 「稲瀬川勢揃いの場 白波五人男」 人形五体
平成二十三年、鍜冶町の飾りは初採用の場面で人形が五体飾られました。
近年では人形五体の場面は無く画期的な事で当時は大変話題になり、記憶に残る年となりました。

鍜冶町曳山文献
鍜冶町でか山では古くから曳山文献(人形台帳)が残されております。
大変貴重なもので江戸時代からの飾り・人形宿など記されており鍜冶町でか山総代に代々受け継がれている覚書です。
当時の出し物・各人形宿が記されています。
右頁・明治十三年 御所桜堀川夜討
左頁・明治十四年 金刀比羅霊験記
  近年のでか山覚書  (平成十年度)
近年では人形宿の他、その年度のでか山の各役付けの氏名など諸々が記載されています。

昭和時代  鍜冶町でか山 出し物一覧
T 15年 大江山酒呑童子 33年 御所桜弁慶上使之場
S 2年 源平盛衰記源太勘当 34年 近江源氏先陣館
 3年 助六由縁江戸櫻揚巻 35年 川中島合戦 輝虎配膳
 4年 大徳寺焼香之場 36年 東大寺大仏再建
 5年 曽我對面 37年 源平盛衰記大蔵郷館
 6年 里見八犬傳 38年 安達ヶ原三段目
 7年 小楠公如意輪堂 39年 繪本太閤記十段目
 8年 木村重成血判取 40年 阿古屋琴責め
 9年 桔梗之旗揚 41年 一の谷嫩軍記
10年 大楠公櫻井駅別れ 42年 助六由縁江戸櫻
11年 東大寺大仏建立 43年 奥州安達ヶ原三段目
12年 七尾城評定 44年 勧進帳安宅之関
13年 大和錦旭旗揚 45年 一の谷嫩軍記
14年 源平盛衰記名刀誉の石切 46年 忠臣蔵七段目一力茶屋
15年 王政復古江戸城引渡 47年 皿屋敷
16年 先代萩御殿場 48年 水戸黄門登城之場
17年 山田長政海外進撃 49年 曽我兄弟對面
18年 桃太郎鬼ヶ島凱旋 50年 太功記本能寺
19年 龍宮城浦島太郎 51年 重成血判取り
20年 (戦争中により曳山中止) 52年 櫻井駅楠父子別れ
21年 花咲じいさん 53年 近江源氏先陣館
22年 石山軍記 54年 柳生二蓋笠
23年 太功記本能寺 55年 重成血判取り
24年 阿古屋琴責め 56年 一の谷嫩軍記
25年 東大寺嫩軍記 57年 先代萩御殿之場
26年 壽曽我對面 58年 菅原天神車引之場
27年 重成諫言之場 59年 繪本太功記十段目
28年 柳生二蓋笠 60年 王政復古江戸城引渡し之場
29年 菅原天神記車引 61年 川中島の合戦 輝虎配膳之場
30年 櫻井駅楠父子別れ 62年 曽我の夜討之場
31年 慶安太平記江戸城濠端 63年 本能寺之場
32年 重成血判取り      
( 好評の場面は度々出し物に起用されています )




江戸期の山車  屏風絵図 明治期の山車  奉納絵馬
でか山の鉾
大地主神社の古い文献には青柏祭に山鉾を奉納した事が記されており、簡素な山車ですが鉾が1本取付けられた図が掲載されており、この鉾がでか山の起源かと思われます。
以前の七尾は北陸での大都市で町の繁栄と共に山車が大きくなり、現在のでか山になったと思われます。
古い絵図には飾りの背面上段には鉾や纏の飾りが取り付けられています。
明治期には高さ18メートルにもなり、その上に鉾がたてられていましたが電線が張られるようになり高さが制限され現在の大きさとなり、鉾の取り付けも無くなりました。
しかし、平成27年にでか山の原点に戻り三町で昔のように鉾や飾りを付ける事となりました。





残念ながらこのままでは2メートル以上高くなり運行中電線に架かる為、限られた場所でのみ揚げる事となります。
各町では凝った鉾を揚げ、取り付け方法も工夫を凝らしています。
鍜冶町でか山は鉾を上下にスライド出来るように取り付けてあります。
今後も形状・数・取り付け方法を改良し、より良い鉾を揚げたいと考えております。


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