青柏祭の曳山祭り「鍜冶町でか山サイト」 ホーム >木遣り
鍜冶町でか山 木遣り

でか山には前後の車の上に曳き手に向かうように木遣り衆が上がる木遣り台があり、曳行する際には木遣り衆が謡う木遣りにより曳き出されます。
でか山では木遣りを謡うことを木遣りを「あげる」といい、先人より口伝えで代々引き継がれています。


木遣り衆があげる木遣りの最後の一節 「ソーワーアーレーイーバーー」を唄い終えると曳き手が息を合せ「エートーコーサー・ノー・エンヤー・エンヤー~」で曳き始めます。
なお、木遣りをあげている最中でか山の周りでは各役割で運行の準備等が行われ、木遣りの節の合間には関係者・曳き手らが皆で合いの手「はやし」を唄い、山を曳く鋭気をたかめあいます。
でか山の木遣りは場所・時により違った種類の唄があげられ、文句も数多くあります。


木遣りで使用する 「ざい・扇」

曳き出し唄 宵山の最初にあげる木遣り
道中唄 でか山運行中の木遣り
約束唄 道中唄の中でも所定の場所であげる木遣り
曳き込み唄 五月五日、でか山を宮に納める最後の木遣り
大木遣り 辻回しの大梃子使用中の木遣り
曳き付け唄 運行を終え所定の場所に納めた時の木遣り

昭和中初期の木遣り衆 昭和後期の木遣り衆 平成の木遣り衆
令和の木遣り衆 元木遣り衆 子供木遣り
現在、鍜冶町の木遣り台には六人上がっていますが以前は五人でした。
鍜冶町の木遣りの稽古は大地主神社拝殿にて祭の約二週間前から毎夜おそくまで行います。

現在では行われていませんが、昔は木遣りの稽古が始まると木遣り衆らは共に寝起きし同じ釜の飯を食べその期間は一切女人を絶ち身を清め祭に向けて稽古をしていたそうです。

また皆さんの祭も同じでしょうが、でか山の各役は完全な立社会で役に入った当初は、こま使いから始まりその役の頭になるまではかなりの年数がかかります。

木遣り台に立つ位置も頭が立つ所は高段 (でか山の背面側) 副頭の立つ下段 (でか山の前面飾り側) と位により立つ位置が替わり新人が真ん中に立ちます。
新人は基本の「鶴亀」ナゲ唄だけを入念に稽古し年数を追う事に道中唄を覚えていきます。

でか山の木遣りをいくつかご紹介します。

でか山運行の木遣りは必ず前唄を先に唄いその後、道中唄などを入れ最後にナゲ唄を唄い終え山を曳き始めます。また前唄とナゲ唄だけで曳く事もあります。

祝おう 祝おう 良いやな  ( 前唄 )
 「 曳き出し唄・道中唄などの木遣りを入れる 」
鶴と 亀との 舞い遊び  「ソーワーアーレーイーバーー」(揃えば) ( ナゲ唄 )
 「エートーコーサー・ノー・エンヤー・エンヤー~」

他のナゲ唄
  綱の為とて   車曳く   揃えば
  淀の川瀬の   水車   揃えば


【曳き出し唄】
五月三日、宵山を曳き出す最初の木遣りで木遣り衆の頭があげます。その後、木遣り衆が順次自分の持ち唄の道中唄をあげて曳き出されます。
壱  近年より大地主神社の古い文献に基づいた曳き出し唄を用いています。
      今日は日も良し、吉初日よ
      明日は申の日、山王のまつり
      三山曳き据え、蓬莱あげりゃ
      鶴と亀とが舞い遊ぶ

曳山運轉ノ時謡フ囃子歌 「大地主神社文献より」  前祭引初之歌
 ケフハ、ヒモヨシ、キツショニチヨ  アスハ、サルノヒ、サンノヽマツリ
 ミヤマ、ヒキスエ、ホヲライアゲリャ  ツルト、カメトガマヒアソブ

弐  以前の曳き出し唄はこちらをあげていました。
      今日は日も良し、吉日も良し
      明日は申の日、山王のまつり
      三山引き寄せ、蓬莱あげて


【道中唄】
でか山の運行中に山が止まる度に木遣り(道中唄)をあげて曳き出します。また山がなかなか動かない時など、曳き手の皆さんが疲れるので中休みに短い木遣りをあげて鋭気をため、改めて曳き出します。
なお、道中唄には数種類あり木遣り衆はその年の自分が唄う持ち唄をきめて祭の前から稽古しています。

 能州
ここは能州、七尾のみなと
出船入船、数ある中で
陸で目出度い、上米積んで
みさき浦へと、はせ出し廻る
 大阪の川
どんとはせ込む、大阪の川へ
いかり下ろして、とも綱とりて
伝馬下ろして、十九を乗せて
乗せてあげましょう、呉服屋までも
 那須の与一
那須の与一を、御前に呼ばせ
呼ばせたまいし、所はいずこ
四国讃岐の、屋島が磯で
源氏平家の、御戦いに
 新造目出度
新造目出度や、いや帆を上げて
思うた港へ、それそよそよと
船頭水夫まで、手を打ち上げて
船玉無事を、祝い喜ぶ
 五月
五月時やら、下女半下まで
茜だすきに赤前垂れに
早苗植えつつ、豊年うたい
並ぶ早乙女、連なる姿
秋の穂波は、今より見ゆる  
 新茶出花
家内は残らず、前田を植えて
家にゃお嫁はんが茶をたててござる
新茶出花を、もらうとすれば
新茶出花は、まだ薄うござる
しばしまたんせ、濃い茶が出ます
 石童丸
あわれなるかや、石童丸は
父を尋ねて、高野の山を
九百九十九の、御寺々を
尋ね探せど、行き方知らず
母はふもとの、こそめが茶屋で
涙こらえて、茶をくむ姿 
 宇治は茶所
宇治は茶所、茶は縁所
娘やりたや、ありゃ婿ほしや

 新造下ろして
新造下ろして、沖眺むれば
共に大黒、表にゃ恵比寿
 数え唄
一にゃ 越後の、大日如来
二にゃ 新潟の、白山様よ
三にゃ 讃岐の、金毘羅様よ
四にゃ 信濃の、善光寺様よ
五つぁ 出雲の、色神様よ
六にゃ 村々、鎮守様よ
七つぁ 七尾の、山王様よ
八にゃ 八幡の、八幡様よ
九つぁ 高野の、弘法大師
十にゃ 所の、氏神様よ
 商いしもうて
今日は嬉や、商いしもうて
遊びましょうか、慰めましょうか
ぶらりしゃらりと、新町口へ
あまた廓の、見に行く女郎は
綾で迷わん、錦で惚れん
小判四十両に、我しゃ身は捨てん
連れて行かんせ、長崎までも
 ( 五日の午後のみに唄う )

他にも数々の木遣りがあります。


【約束唄】
道中唄の中でもでか山が所定の場所に来た時だけにあげる木遣りです。

仙対橋を渡り小丸山へ向う時にあげる木遣り
    ここは馬出、小丸の城よ
    木戸の岩垣、数々むれて
    稚児が増すはの、若殿までも

    庭に鶴亀  五葉の松  ( 専用ナゲ唄 )

五日でか山が西方面から戻り鍛冶町に入る時にあげる木遣り
    鉦をたたいて、はや鍛冶町
    雪も降らぬに、凍み郡町
    町のはずれの、霊泉寺さまよ


【曳き込み唄】
五日、でか山を山王神社に納めるその年最後にあげる道中木遣りで大変意味ある唄です。これは木遣り衆の頭が唄いあげます。
どっと曳き込む  山王の庭へ
 上の七社に  また中七社
  下の七社で  山王こめて
   君の万歳  国家の繁栄
    祝い祭れば  鶴亀さえも
     翔けつ浮かびつ  舞い遊ぶ

【曳き付け唄】
この木遣りはでか山の運行が所定の場所におさめられた時にあげる木遣りで普通の木遣りと節回しが違います。
また、五日夜境内に納められた曳き付け唄はその年のでか山の最後で大変哀愁深い唄となります。
唄いましょうか はばかりながら   声の悪いのは 御免となされ
 はせ込む船 かの川へ   いかり下ろして とも綱とりて
  行かのせ 長崎までも   連れて行くのは いとやすけれど

曳き付け唄の後、七尾まだらを皆さんで合唱します。


【大木遣り】
大木遣りは辻回しの大梃子使用時にあげる木遣りで節回しも違います。この大木遣りは現役の木遣り衆だけでは無く木遣りOBや周りの関係者があげたり、即興的な詩も唄われます。
また大木遣りは色物の詩が用いられた唄が多くあります。

目出度目出度の 若松様よ  枝も栄える 葉も繁る

富士の白雪 朝日で解ける  娘島田は 情けでとける

この間館は 目出度い館  鶴が御紋に 巣をかける

娘十七・八を やぐらに乗せて  下から見上げりゃ 弥生の桜

鶴は千年 亀万年  浦島太郎は 八千年

娘島田に 蝶々が止まる  止まるはずだよ 花じゃもの

破れふんどし 将棋の駒よ  角かと思たら 金が出た

 (この他、色物の詩など多数あります。)



鍜冶町木遣りの一部を紹介しましたが、この他にも多数の木遣りがあり今では実際にあげられていない物や詩が長い物等色々あります。
また、でか山の木遣りは代々口伝えで引継いで来ましたので多少、文句や節回しが替わったり省略されたりしてきましたが、今では皆さん録音や記帳したり文献に残されたりしています。

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