青柏祭の曳山祭り「鍜冶町でか山サイト」 ホーム | Home |
大地主神社の青柏祭にて奉納される曳山「でか山」のご紹介です | |||
【 ユネスコ無形文化遺産・国指定無形民族文化財 】 | |||
石川県七尾市 曳山祭事 「でか山」 |
大地主神社 青柏祭 曳山 「でか山」 五月三日夜~五日 | |||||||||||||||||||
「令和六年度 青柏祭でか山は中止いたします」 令和6年元旦に発生しました能登半島地震に被災されました皆様方には 心よりお見舞い申し上げます。 一日も早く安心した従来の生活を送られることをお祈りいたします。 |
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当地、七尾でも多くの被災された方々がいらっしゃる事と思います。 でか山においても祭主の大地主神社様の一部損壊、隣接する鍜冶町でか山資材を保管している山倉は傾き、倒壊を防ぐため応急処置を施していますが修繕が必須の状態です。 この様に町の復旧には先が見えない状況であり、5月に開催されますでか山ですが青柏祭でか山保存会により協議を重ねてまいりましたが本年度は中止せざるを得ない結論に至りました。 今は七尾や被災されました各地の皆様の復旧と復興を願い、来年はでか山を開催出来ることを目指しております。 今後ともご支援ご協力を賜りますよう、よろしくお願いいたします。 |
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能登七尾に柏の青葉が薫る五月 青柏祭(せいはくさい)にて高さ12メートル・重さ20トンの日本一巨大な山車 でか山が三台奉納されます 青柏祭は七尾市山王町 大地主神社(おおとこぬしじんじゃ・山王神社)の祭事で五月四日に本儀が執り行われ神事では柏の葉に神饌がもられます この神事は一千年以上の歴史があり曳山は約五百年以上前から奉納されており 曳山祭事は昭和58年に国の重要無形民俗文化財に指定されました また 平成28年には山・鉾・屋台行事としてユネスコ無形文化遺産にも登録されました 曳山は魚町・府中町・鍜冶町の三台で能登の素朴な風土を象徴するかのよう巨大で独特な形状をしており でかい山車から通称「でか山」と呼び先人の知恵による運行方法で旧七尾市街地通りの町並をぎりぎりに怒涛のごとく勇壮に曳き廻されます |
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大地主神社境内にて 大正12年「め組の喧嘩場」 平成24年「め組の喧嘩 神明恵和合取組の場」 |
三町のでか山の一台 鍜冶町でか山の日程と日時・運行の仕方・各部署の役割・組建て・神事など画像と共にご案内いします このサイトは運営人の私もでか山に携わる一人として 鍜冶町でか山をご紹介できればと思い発信する私設でか山広報【鍜冶町でか山サイト】です ご覧の皆さんに能登半島七尾に受け継がれる巨大な山車 でか山をお伝えします 「鍜冶町でか山の由来」 でか山の起源は定かではありませんが神社の文献には五百年以上前から青柏祭に鉾を建てた山車 山鉾を奉納していることが図と共に記載されており これが起源と思われます 当時の山車の形状は今のでか山とは異なっていましたが 町の繁栄と共に大きくなり江戸時代には既に現在の形となり 明治時代には高さ十間にもなりましたが明治後期に電線などの関係で高さが制限され現在の大きさになりました 鍜冶町の町名は室町時代 能登國守護畠山氏の城下にて「かちや町」の町名があり鍛冶屋の町だったようで江戸時代には現在の鍜冶町に改められたようです また 町の路地には職人が多く集まった金屋町という町があり今でも「かない町」と呼ばれています 当時の鍛冶職人の意気込みから鍜冶町がでか山の奉納町になったと思います しかし 昭和後期には鍛冶屋も減り今では一軒も残っていませんが当時の職人気質が鍜冶町でか山に受け継がれ現在に至っています |
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